雑草魂とは戦略的であること
”雑草魂”というコトバがあります。

どんな逆境にもめげず、不屈の精神で立ち向かう生き方
の例えとして、使われます。
また、1999年に当時巨人のルーキーだった上原浩治氏が、
圧倒的なパフォーマンで活躍し、”雑草魂”を座右の銘にしていたことから、
その年の流行語にもなりました。

いやぁー、格好良かったなぁ、上原投手。。。
雑草(魂)は、
踏まれても、踏まれても、立上がり、粘り強く・・・という
イメージが一般的かと思います。
そのような特性が、ビジネスシーンでも何かヒントになるのではないかと、
調べてみると、少し想定外の一面がありました。
どうやらある種の雑草は、「踏まれたがっている」ようです。
正確には、「踏まれるという状況(環境)を生存戦略に活用」しています。
特徴的なモノが、道端でもよく見かける、オオバコという種です。

以下、書籍『雑草という戦略』(著:稲垣栄洋)より引用抜粋・一部加筆修正
オオバコは、道端やグラウンドなど、よく踏まれるところに生えている。
まるで踏まれやすいところ好んでいるかのようだ。
オオバコは学名を「プランターゴ」という。
これはラテン語で、「足の裏で運ぶ」という意味である。
実は、オオバコの種子は、紙おむつに似た化学構造のゼリー状の物質を持っていて、
雨が降って水に濡れると膨張してネバネバする性質がある。
その粘着物質で人間の靴や、自動車のタイヤにくっついて運ばれていくのである。
オオバコにとって踏まれることは、耐えることでも、克服するべきことでもない。
踏まれることによって、分布を広げて成功するのだから、踏まれなければ困ってしまう。
もはや、すべてのオオバコは、「踏んで欲しい」と願っているはずだ。
こうして、踏まれなければ困るほどまでに、踏まれることを利用しているのである。
まさに逆境をプラスに変えて成功しているのだ。
・・・なるほど、なかなかに戦略的です。
勿論、踏む人や車よりも先にオオバコ(に近い種)は存在していたわけなので、
予め踏まれることを見越しての性質ではありません。
踏まれるという状況・環境に適応した(進化した)結果です。
「踏まれても尚立ち上がる」というのも一つの選択ではありますが、
「踏まれるのであれば、その状況をどう活かすか?」も選択肢の一つに加えたいのです。
また、同書では雑草の特性を踏まえて、下記のように結論づけています。
「雑草は弱い植物である」
これがすべての出発点である。
雑草は競争に弱い。(=樹木などの大型植物には勝てない)
この前提に立った上で、雑草は得意なところで勝負している。
それが「変化する環境」である。
雑草は弱い植物である。
しかし、私たち人間の目には、雑草は強くたくましい植物として映っている。
それは自らの弱みを避けて、強みだけで勝負しているからなのだ。
さらに、雑草が「変化する環境」に強みを見出したのには理由がある。
じつは、変化こそが、強い植物がもっとも力を発揮できない場所である。
そして、変化する環境は、弱い植物にとってチャンスでしかない。
変化が多いということは、それだけチャンスが多いということなのである。
僕たちが道端で見かける雑草は、
場所や条件に負けず、頑張って咲いているわけではありません。
むしろ、変化を機会と捉え、限られたマーケットで生存できるように適応し、
戦略的にそのポジショニングを勝ち取った姿なのです。
・・・なんか見くびってしまっていたようで、すみません。
見習います!!
本当の雑草魂とは、変化を機会と捉える戦略性に宿るようです。
皆さんも、これを機に、
”雑草魂”の意味合いをアップデートしてみてはどうでしょうか?
追記)
1999年の上原投手といえば、涙の敬遠も格好良いんですよねー。。。

ペタジーニに関するブログ記事は特にありませんので、
代わりに1999年の松坂投手関連で。(タイトルか画像をクリック)
