何によって覚えられたいか−僕を叩き起こしてくれた問い−
社会人1年目のことです。
もしその頃に戻れるならば、当時の自分の仕事への取組方や諸々、改善したい所だらけです。
今の自分がメンターにつけば、かなり厳しい指導を喰らわせることは容易に想像できます。
ただ、1点だけ、ちょっとだけですが褒めてやりたい出来事がありました。
当時の僕は、フィールドセールスの担当をしていて、
インサイドセールス部隊の先輩(Aさんとします)が調整してくれた
アポ先(新規のお客様)に行くことになりました。
そこで一通りの提案をして、まぁ普段通りというか、自分としては通常運転の感じです。
それから数日後、検討状況をフォローしようと思い、お客様にTELしました。
僕 :「先日はありがとうございました。その後のご検討状況はいかがでしょうか?」
お客様:「あー、Aさんですか?対応してくれた野呂さん(僕)って人なんですが・・・」
→お客様が、僕からの連絡ではなく、アポを調整してくれた先輩Aさんだと思って話されます。
ちょっと訂正するタイミングを逃してしまい、そのままお話を聞くと・・・
お客様:「あの人、ダメですね・・・」
僕 :「(うぉ・・・、怒られてるやん。。クレームや。。。)
どうされましたか?何か失礼や至らない点がありましたでしょうか?」
→やっちゃってるな、と思いつつ、Aさんのフリをして電話を続けます
お客様:「商品に自信があるのはいいんでしょうけど、態度が偉そうなんですよね。。。
買いたいなら買えば?みたいなニュアンスで、ちょっと営業としてはどうなんですか?」
僕 :「(もう今更、名乗れないよなぁ・・・)
それは大変申し訳ありませんでした。よく言ってきかせます。失礼しました!」
→と、Aさんのフリをしたまま電話を切りました・・・
正直、思い当たる節もバリバリあるので「失敗したなぁ」「申し訳ないなぁ」と反省しました。
この経験から、
「これからは、営業としてお客様の不快にならないように、もっと低姿勢で望まなきゃな・・・」
とは、全く思わなかったのです。
僕はこの出来事を、こう捉えました。
・問題は、態度が偉そうなことではなく、態度と実際(提案)が釣り合っていなかったこと
・偉そうだと思われない為には、本当に偉く(できるように)なればいいんじゃないか
・自分がやろうとしていることに、やっていることが追いついていないことが問題なんだ
この発想ができたことは、ちょと褒めてあげたいです。
これが、自分の仕事の在り方を見直す大きなきっかけになりました。
ちょうどこの頃、ピーター・ドラッカーの「非営利組織の経営」という本を読んでおり、
そこにこんな一節がありました。
「私が十三歳のとき、宗教の先生が、何によって憶えられたいかねと聞いた。
誰も答えられなかった。すると、今答えられると思って聞いたわけではない。
でも五〇になっても答えられなければ、人生を無駄に過ごしたことになるよといった」
「今日でも私は、この問い、何によって憶えられたいかを自らに問いかけている。
これは、自己刷新を促す問いである。自分自身を若干違う人間として、
しかしなりうる人間として見るよう、仕向けてくれる問いである。」
この日、僕は自分に問うたのです。
“お客様・クライアントに、何によって覚えられたいか(どう思われたいか)”
その理想の姿は、低姿勢でお願いして買って頂くような営業ではなく、
もっと自信を持って成果に貢献できているイメージでした。
それからは「じゃあその為には、何をどうするべきか?」を考え易くなったと感じています。
この発想、マインドセットは非常に重要だと思っているので、詳しくは
ブログ:成長する営業パーソンのマインドセット(https://emp-consul.com/archives/510)
を参考にして下さい。
“貴社(貴方)は顧客に、何によって憶えられたいか“
是非、問いかけてみて下さい。
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