ベテランにこそ必要な限界的練習
皆さんはベテランでしょうか?
ベテランとは、“長年の経験を積み、その道に熟達している人”を意味しますので、
基本的にはポジティブなニュアンスで使用されると思います。
本来は、古残兵や老兵、退役軍人を指す言葉で、
そこから派生して熟練者を意味するようになったそうです。
仕事においても、ベテランの持つ経験は強力な武器ですが、
ちょっとドキっとしてしまう指摘があります。
アンダース・エリクソン著 『超一流になるのは才能か努力か?』という書籍からの
引用・抜粋(一部加筆修正)です。
大抵の能力の習得は、許容できるレベルに到達するまで練習すると、自然と体が動くようになる。
しかし、ここで一つ、覚えておいてほしい重要な点がある。
ひとたびそこそこのスキルレベルに達し、運転でもテニスでもパイを焼くのでも
特に意識せずにできるようになってしまうと、そこで上達は止まるのだ。
これは誤解されがちな点で、
運転、テニス、あるいはパイを焼くのを続けていれば、それは一つの練習形態といえ、
継続すればペースは緩やかかもしれないが能力は向上し続けると思っている人が多い。
運転歴20年の人は、5年しか運転していない人より上手である、
20年医者をやっている人は、5年しか経験のない若手より優れている、
20年教壇に立っている教師は、5年しか教えていない教師より上である、と思い込むのだ。
だか、それは誤りだ。
一般的に、何かが「許容できる」パフォーマンスレベルに達し、自然にできるようになってしまうと、
そこからさらに何年「練習」を続けても向上に繋がらないことが研究によって示されている。
むしろ20年の経験がある医者、教師、あるいはドライバーは、
5年しか経験がない人よりやや技能が劣っている可能性が高い。
というのも、自然にできるようになってしまった能力は、
改善に向けた意識的な努力をしないと徐々に劣化していくためだ。
・・・なんということでしょうか。
意識せずともできるようになった仕事の継続は、
それ以上に進歩しないどころか、劣化していくというのです。
世の中のベテラン各位(僕も含めさせてもらいます)、由々しき事態です!!
思うにこれは、経験を積むことで
“何とかする力”を得ていることも関係していると思われます。
難しい案件やトラブルが発生した場合でも、
「意外と何とかなったなぁ」という経験がありませんか?
その場はしのげたかもしれませんが、
根本的な能力やスキルは変わっていないはずです。
応用力が付いただけです。
目指すべきは、次に同じ事象が発生した時に、
“何とでもできる力”を得ることです。
同書(『超一流になるのは才能か努力か?』)では、
トップレベルの能力開発には、“限界的練習”が必要であると指摘しています。
限界的練習とは、
学習者のコンフォート・ゾーン(快適な空間)の外側で、
常に現在の能力をわずかに上回る課題に挑戦し続けることです。
日々の仕事においては、練習というシーンは稀です。
業務も営業活動もマネジメントも意思決定も、常に本番だからです。
つまり、本番(日々の仕事)に挑戦の機会を求めるしかありません。
「ちょっときつそうだな・・・、厳しいな・・・」と思ったその時、
コンフォート・ゾーンを外れているはずです。
ベテランであるからこそ、成長の機会と捉え踏み出したいモノです。
昭和の大横綱、千代の富士の言葉です。
“いま強くなる稽古と、3年先に強くなるための稽古を両方しなくてはいけません”
限界的練習も同じかもしれません。
短期・長期、2つの視点で挑戦する機会を創りましょう。
成長機会の獲得という観点で、下記もご参考下さい。
追記)
僕が新人の頃です。
ある打合せの場で、クライアントの女性ご担当者に
「流石、ベテランですね」と、何の気もなく発言してしまいました。
後ほど先輩に「女性にベテランって言うなよ・・・」と指導されました。
あの時の打合せは、
コンフォート・ゾーン(快適な空間)の遥か外側にあったはずです。。。
申し訳なかったなぁ・・・