悪者が集まる組織をつくる
善い人と悪い人。
組織でどちらの人材が必要かと言われれば、善い人に決まっています。
だだそれは、誰からどのように見て・・・?が重要です。
書籍『座右の寓話』(戸田智弘著)で紹介されている、あるエピソードです。
以下、同書より引用・加筆修正
ある村に、隣り合う2軒の家があった。
1軒の家(A)は、仲睦まじく争いひとつ起きなかった。
もう1軒の家(B)は、毎日喧嘩が絶えず、皆が面白くない日々を送っていた。
ある日、Bの家の主人が、Aの家の主人を訪ねて聞いた。
「あなたの家(A)は、喧嘩ひとつしたことがないと聞く。
私の家(B)は、毎日喧嘩が絶えず、修羅場のような有様だ。
どうしてあなたの家は、そう仲良く暮らせるのか?」
Aの家の主人は、こう答えた。
「私どもの家は、悪者ばかりの寄り合いですのに、
あなたの家は、善い人ばかりがお集まりだからなんでしょう」
Bの家の主人は、納得できなかった。
「どうもわかりませんね。。。
悪者が揃っていれば、いよいよ喧嘩が募るはずでしょう。
悪者ばかりだから喧嘩がないというのは、どういうことですか?」
Aの家の主人は、更にこう答えた。
「いや、何も難しいことはありませんよ。
例えばですね、火鉢が転んでも、茶碗が割れても、皆が
『それは私が悪かった。いや私が不注意だった。いやいや私が軽率であった』と、
お互いがわれ先に悪者になる競争をします。
だから、喧嘩の起こりようがないのです。
ですのに、あなたの家ではこれと反対で、何か間違いがあると、
皆さんが善い人になろうとなすって『俺は知らぬ、貴様が悪い』と
お互いが罪のなすり合いをするのでしょう。
だから喧嘩の絶えることはありません。
私の家では競って悪者になり、あなたの家では競って善い者になろうとする。
その結果、私の家では争いごとが起こらず、あなたの家では争いごとが絶えないのでしょう」
こう言われて、Bの家の主人はなるほどと合点し、目を覚ました。
それ以来、互いに譲り合うことに努め、円満な家庭になったという。
・・・いやー、耳が痛い。
つまり、自分自身を”善い人”(間違っていない)と固定してしまうと、
何かしらの問題が発生した時に、相対的に周りを悪者(問題の原因)にしてしまう、
ということです。所謂、他責です。
逆に、自分自身を悪者(問題の原因)と捉える自責の念があれば、
それが無駄な争いを減らし、
結果的に組織にとってのプラスを産むことができる、という感じでしょうか。
他責思考の自己評価の善い人はやめて、自責思考の悪者でいきましょう。
組織としても、そうありたい(そういった人材の集まりでいたい)ものです。
ただ、この場合の”自責”は、自分なんて・・・という、
自信の無さからくるモノではダメです。
自信の無い組織に、良い仕事はできません。
後ろ向きに自分自身を責めたいわけではありません。
自分次第でモノゴトは好転させられる、というように、
自分自身の思考・行動に前向きに責任を持ちたいのです。
問題が発生した際には、自分が原因であると認識できる謙虚さと、
その問題の解決は、自分次第で好転させられるという自信。
このバランスを持った悪者(が集まる組織)として、
自分自身に、前向きに責任を課していきましょう!
自責/他責に関しては、窓と鏡の法則がわかりやすいので、
下記もご参考下さい(タイトルか画像をクリック)
追記)
悪者の組織(チーム)で思い起こされるのが、スラムダンクの名シーン”ワルモノ見参”です。
安西先生のマネジメント力が垣間見れるシーンが個人的にはツボなのですが、その一つです。
山王工業という絶対王者を前に、ビビっている湘北メンバーを巧みにモチベートし、
スタメンのメンバーは吹っ切れた表情でコートに進み・・・
『スラムダンク』♯221「早く見たいな山王工業」より
このシーン、最高です。
これくらい、太々しく、ワクワク感を持って仕事に望みたいモノです。