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チューター効果と教わりたくない問題

チューター効果(tutor effect)をご存知でしょうか。

 

 

 

チューターとは、もともと「見守り・導く人」を意味する言葉で、

 

現代では主に、家庭教師や大学の個別指導者など、

 

マンツーマンで学習を支援する指導者を指します。

 

 

 

 

 

 

そして、チューター効果とは、

 

教え導く立場に立つことで、教える側自身の理解・記憶・思考が最も深く定着する現象

 

を指します。

 

 

 

これまでもこのブログの中で、”教えるポジションに立つこと”が

 

成長する為の重要なポイントであるとお伝えしてきました。

 

 

 

詳しくは、下記もご参考下さい(タイトルか画像をクリック)

 

 

▼教わる<教えるの法則-認知的不協和の利用-

 

 

 

ですので皆さんには、

 

積極的に教える機会を獲得していって頂きたい!と思っていたのですが、

 

あることに気がついてしまいました・・・

 

 

 

それは、

 

(本質的には)人は教えられたい(教わりたい)わけではない

 

ということです・・・。

 

 

 

教わりたいというニーズがそもそも乏しいなんて・・・、残念!

 

 

 

そんなことないよ!と否定して頂きたいですが、どうでしょうか?

 

 

 

勿論、学習意欲が高かったり、教えを請うている場合は別です。

 

 

 

有名なアドラー心理学では、人は本来「他者に導かれる存在」ではなく、

 

「自らの目的に向かって選択する存在」だと考えられています。

 

 

 

そのため「教える」という行為は、相手の自己決定性を侵すものとして、

 

無意識に抵抗を生みやすいのだそうです。

 

 

 

また、アドバイスをするということは、こちらにその意図がなくても、

 

現状の否定(=今のままではダメ)を含みます。

 

 

 

残念ながら、これは構造上の問題として発生してしまいます。

 

 

 

迂闊なアドバイスが嫌われてしまう理由も、ここにあります。

 

 

 

「教わりたい」と「教えたい」には、

 

どうやら需要と供給のアンバランスがありそうです。

 

 

 

自己決定を侵されたり、今の状態を否定されたりしてまで、

 

人はそう簡単に「教わりたい」とは思えないのです。

 

 

 

よくよく考えると当たり前なのですが、

 

「教わりたい」という相手あっての、「教える」という行為なのです。

 

 

 

それでも、ついつい「教えよう」としてしまうのは、

 

相手のことをわかったつもりになってしまっているからかもしれません。

 

 

 

心理学者のミルトン・H・エリクソン氏は、

 

診療・治療において「not knowing」という考え方を重視したそうです。

 

 

 

これは、

 

セラピスト(医者・治療者)は、クライアント(患者)のことを

 

“分かっているようで、実は何も分かっていない”

 

という、前提に立て、という教えです。

 

 

 

 

 

 

相手のことを「分かったつもり」で関わることは望ましくありません。

 

 

 

そして、そのような状態こそ、ついつい教えたくなるものです。

 

 

 

気をつけないといけませんね・・・。

 

 

 

そのような状態で、いくら教えたとしてもお互いの成長は見込めません。

 

 

 

「相手のことはまだ分かっていない」という前提で、

 

問い続け、理解し続けようとすることが、有効な「教わる・教える」につながります。

 

 

 

チューター効果を発揮するためにも、相手のことをわかったつもりにならないように。

 

 

 

相手になったつもりになれば、

 

それが危険なことくらいわかりそうなものですが・・・。

 

 

 

難しいですね。。。

 

 

 

追記)

 

同時に考えたいのが、教えられる(教わる側)のスキルです。

 

 

先のように、わかったつもりで教えて欲しくない、というのはありますが・・・

 

 

ひとつのスキルと考えてみてはどうでしょうか?

 

 

詳しくは、下記をご確認ください(タイトルか画像をクリック)

 

▼教えらえる側のスキルと教える機会

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