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その手のひらはどこを向いているか

「過ぎたるは猶及ばざるが如し」というコトバがあります。

 

 

 

所謂、中庸(ちゅうよう)の重要性を指していますが、

 

孔子の『論語』にある教えだそうです。

 

 

 

 

 

昨今のビジネスシーンでもよく耳にする”○○過ぎ”問題のひとつが、

 

”教え過ぎ”ではないでしょうか。

 

 

 

教えること(教育)は大事ですが、それが行き過ぎると、

 

自分で考える力がつかなかったり、

 

言われたことしかできない人材になってしまう、という指摘です。

 

 

 

確かにその通りなんでしょうが。。。

 

 

 

教える立場の皆さん、気持ちはわかりますw

 

 

 

教える側は、当然ですが良かれと思って教えます。

 

 

 

教わっていない、聞いていない、わからない・・・

 

という言葉を聞かない様、それこそ懇切丁寧に。

 

 

で、一生懸命教えていたら、今度は「教え過ぎだ、それでは伸びない」と。

 

 

 

孔子もこのような無限ループを経験したのでしょうか?

 

 

 

僕が提唱したいアプローチは、

 

この問題を教える側ではなく、教わる側の問題にしてしまうこと、です

 

 

 

教わる側次第、でいいのです。

 

 

 

教わる側に求められる”態度”を、

 

非常にわかりやすく指摘した例えがありましたので、紹介します。

 

 

書籍『教えない技術』(西岡 壱誠著)内で、

 

長崎県の創成館高校の教頭先生の言葉として紹介されています。

 

 

 

以下、書籍『教えない技術』(西岡 壱誠著)より引用、一部加筆修正


 

今の生徒って、手のひらが上を向いているのです。

 

 

手のひらを上に向けて「教えてください」という状態なのです。

 

基本的に殆どの子が、

 

自分の手のひらの上に誰かが何かを乗せてくれるのを待っている状態なのです。

 

だからこそ、その手のひらをひっくり返して、

 

自分で掴み取れるような仕組みや環境を作ることが必要なのです。

 

自分でやりたいことを掴み取り、

 

自分で考えて行動する態度をもってもらわないとダメなんです。

 


 

 

 

大事なのは、教わる側の手のひらの向き、です。

 

 

 

手のひらが下を向き、自分で掴み取れる状態になっていれば、

 

教わるという行為も意思決定のひとつになります。

 

 

 

教わる、という選択を意図的にしてもらいましょう。

 

 

 

そのような関係性であれば、教える側は目一杯教えればいいのです。

 

 

 

教わる側が、自己責任でそこから必用なモノを掴み取れます。

 

 

本当の知恵やスキルになるのは、そうやって掴み取ったモノではないでしょうか。

 

 

 

教えようとしているその相手の手のひらは、どこを向いていますか?

 

 

 

ご自身の手のひらは、どこを向いていますか?

 

 

 

追記)

 

僕の思う、教育の最適解は、教える側になることです。

 

 

そうなれば、この教え過ぎ問題も一石二鳥で解決なんですが・・・。

 

 

詳細は、下記からご確認下さい(タイトルか画像をクリック)

 

 

教わる<教えるの法則認知的不協和の利用

 

教える機会の有無が知能の差を生む可能性

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